第六回和心会演武大会
- 源入康生
- 2018年9月28日
- 読了時間: 4分
9/24(月・振休)第六回和心会演武大会へ「かわち永和教室」少年部・一般部ともに出場してきました。
特に今回は、昇段者演武として、私、Nさんの“個人演武”枠を用意していただき、稚拙ながら頑張ってきました。

『大阪城公園内:修道館にて』
【こども合気道(少年部)演武】
今年で三度目の出場となる和心会演武大会。
少年部ではよく、各指導者が各少年部の演武技を考え、それにならって各少年部が演武するという手法をとります。が、かわち永和教室少年部では、自身で考えて(率先垂範の一端となる)素晴らしい演武をする。を旨としており、自分の演武技は自分で決めることにしています(かわち永和で稽古した技・和心会各道場で稽古した技・動画で研究した技、なんでもOKです。余程でないかぎり…)。
時間が余る際の+αについては、私が考えますが、原則“自分で考える”をモットーにしています。
こうすることで『自身で考える』力がつき、『やる気』も沸いてきます。
なぜ“やる気”が沸くのか?
それは指導者に決められた技を“前にならえ”でやるのではなく、自分で考え、自分の演武として披露することになるからです。
この手法は、会員の数が、さほど多くない「かわち永和教室」であるから出来るのであって、多数の少年部会員を抱える道場では難しいことと思います。
さて、今回も各自で考え、稽古した技を演武していただきました。
技自体は上手くこなしているのですが、どうしても『気合』が小さく、いまいち迫力が欠けます。
そして『礼』に関しても、なにを思い“礼”をしているのか解らない、見た目だけの“礼”となっているのが残念です。
あと、最後に西田先生を取り囲んで(西田先生の多人数掛け)「なんとしても倒してやろう」という気概を感じられない攻撃が残念でした。
稽古では、あんなに西田先生を攻めれていたのに・・・。

『かわち永和教室少年部:演武一組前、みんな余裕の表情?』

『少年部演武:まずは団体演武。それぞれ考えてきた技を演武する』

『少年部演武:それぞれ考えてきた技で、今西先生・西田先生を投げる』

『少年部演武:最後の余り時間を使い、西田先生の多人数掛け。結局、西田先生を倒せずに終わる…、残念』
【一般部演武】
今回は、かわち永和教室に、よく出稽古に来ていただいている方達に“友情出場”をしていただいての6名での演武となりました。
西田先生が一人あぶれているので、私が西田先生の受手として相方を努めることになりました。
西田先生とは、多少、演武稽古をしましたので、演武技(引き出し)は予想できましたが…、持ち時間の3分が意外と長く感じられ、少しへばり気味の受手となってしまいました。
【Nさん昇段演武】
かわち永和会員であるNさんの個人演武。
かわち永和一般部演武が終わって(西田先生の3分間の受手を努め終えて)、一組あいだを置いてすぐの演武です。
諸事情から、Nさんの受手も私が努めます(これも3分間)。
Nさんとは、最初に『半身半立ち』の技をいくつかするということを前日に伝えられていましたから、最初の数本は楽(?)でしたが…、あとは、ぶっつけ本番。
先程の3分間(受け)の疲れもありましたが、無事に最後まで“受け”を努めあげることが出来ました。
10年程前までは、野村師範の演武“受け”を、ぶっつけ本番で、一人で8分ぐらい努めあげることも出来ましたが…、改めて、自身の体力の衰えを感じる演武大会でした。
【私、昇段演武】
私の個人演武。和心会のKさんに“受け”をお願いしました。
Kさんには、当日まで何もいわず、演武前に軽く「最初はコレ、あとは適当に」って感じで、ほぼ、ぶっつけ本番で演武しました。
私は以前から“演武技の打合せ”(?)なるものが嫌いで、いつも適当(良い意味で)に演武をしていました。
なぜ嫌いか?
それは、演武技を決めると、技に自由性がなくなり、思考も束縛されてしまう可能性があるからです。
この考えのもと、演武をするには、“受手”となる者のレベルも高くないと駄目なのですがね。
さて、およそ初めてとなる個人枠での演武。何を演武するか?
野村師範からは『自分の色を出せば良い』とだけ助言をいただいている。
“自分の色”?
改めて、己に“自分の色”とは?と聞いてみても、いまいち良くわからないものである。
とりあえず、日頃、指導していることを前面に出すこととする。
『基本から応用技、身体の使い方』、これが“自分の色を出した”演武である。
演武大会後、観ていてくださった方の反応を伺うと、まずは上出来といった感じか…。